A社における改善活動履歴(#1、概要)

前書き

私が経験したことを読んで役に立つ人が本当にいるのか不安ですが、「あれは先進的なアプローチだった。今でも必要だと思う。」と言ってくれる元同僚もいて、書くことにしました。当時の想いを克明に伝えようとすると大変な長文になってしまうので、概要をまず書いてから、補足を後から追加することにします。

 

概要

2001年4月に転職した会社は、潰れかけた事業部の立て直しの最中でした。SEに所属し早速販促のため米国に出張、次に欧州出張の準備をしている最中に、残念ながら事業部が潰れ別事業部に吸収合併されました。そこでは商品企画部に所属し、大手顧客の米国企業に振り回されない組織を作ることを命じられました。まずはプロジェクトマネージメントの手法であるPMBOKを導入することから始めましたが、関係者からヒアリングをしていくと、問題点はマーケティングや営業まで範囲が広くなり、下記のように2003年から3年間の大掛かりなものになりました。

 

①準備期間(2002年12月~2003年3月)

関係者からヒアリングし、様々な問題点とその解決案を提案し経営会議で発表しました。その後の活動の承認を得ることが目的。

 

②社員だけの改善活動(2003年4月~2004年3月)

「商品企画&マーケティング」、「業務プロセス&情報共有」、「人&組織のマネジメント」の3つのグループで計20人ぐらいが参加し、自分達で出来ること、やりたい方向をまとめる。

 

③コンサルを雇った改善活動(2004年4月~2006年3月)

バランススコアカードを使った事業戦略立案」、「プロジェクトマネージメントプロセスの本格導入」、「組織構成と求められるコンピテンシーに合わせた人材育成計画」等経営会議での稟議を通し、プロのコンサルにサポートをお願いしました。2006年3月に活動結果を経営会議で発表しましたが、その後の進むべき方向で意見が一致せず、活動は終了しました。活動が上滑りしていて社員全員参加でやっているように見えない、との指摘でした。今後は別の役員主導で、若手社員の開発プロセスを可視化共有化する活動が新たに依頼した外部コンサルにより始まることになりました。この活動は役員権限において短期結果を求められず、継続的に地道に若手を育成していくことになりました。

 

開発プロセスの改善のみに集中(2006年4月~2008年3月)

コンサルを使わず、実行中のプロジェクトに入り込んで製品開発から工場生産サポートまでのプロセスを改善。2008年に会社を去りました。

 

活動の反省

その会社は経営的にそんなに困っていない会社でした。だから予算も取れたし私に自由にさせてくれたと思います。改善活動が永続的にその会社の文化として定着しなかったのは、変わることが本当に必要だと実感し、自分自身が新しいことを努力して実践しようと思った社員がほとんどいなかったせいです。また、私が彼らの言葉を鵜呑みにしすぎたために、彼らが描く「夢の未来」から「具体的に実現可能な明日」をいつまでたっても実現できなかったことが「地に足がついた活動」にならなかった原因です。

 

ヒアリングに応じてくれたり改善活動に参加してくれたメンバーは第一線で活躍している部長達でした。でも彼らの口からは「自分で製品開発できる若手がいない」、「プロマネできる人材がいない」といった人材が育っていないという指摘をするだけで具体的にどう改善していくのか、自分の意見を持っている人が少なかったのです。考えて抜いてやっと出たアイデアは断片的な理想論でした。

 

当時の役員達は団塊の世代です。入社した同世代の中から勝ち残ってきた人達なので、開発にしろ営業にしろその道で一流です。事業部長と部課長が1年以上かけてマーケティング手法を勉強し事業戦略を作り報告した時に、ある役員は「そんな誰でも知っている当たり前のことをまとめるのに1年もかけたのか。そんなに今の社員のレベルは低いのか。」と言いました。馬鹿にしているのではなく、今の社員が何で悩んでいるのか本当に分からないようでした。長年多忙で、部下を育成する暇がなかったのでしょう。自分が何をすればいいのかも分からなかったようです。自分が直接今の社員に何かをすること自体、考えていなかったようです。(次の若手社員育成の研修を提案した一人の役員を除いて。)

 

せっかくの改善のチャンスを、私の経験不足でつぶしてしまいました。オーナーは私の上司であった事業部長兼務の役員だったのですが、彼も悩み抜き、最後は諦めた形で尻すぼみで終わってしまいました。事業部長は目の前の結果も出さないといけないため、現在進行中のプロジェクトは今まで通りの属人的手法で何とか進め、改善活動では慣れないことばかりでさらに多忙になり、私にまかせっきりになり、現場の部長が中心となり動けるところまで浸透しませんでした。

 

結論

その会社だけの傾向かもしれませんが、ほとんどの管理職がマネジメントの知識や経験に疎く、自らがこのままではいけないと潜在下で思っているときに、私が一例として話した改善策に彼らはつい飛びついてしまい、後でついていけそうもないことに気がついても今更戻ることもできなくなりました。彼らから何度もヒアリングして描いたはずの理想の未来は本当は「望む未来」でなく「あるべき未来」でした。

 

その後、転職した会社でも改善プロジェクトを数回行っていますが、私から「これを改善すればこんな楽しい未来がある」的なことを話すことは止めました。あくまで目の前の問題を解決することのみを目指し、その結果現場にいる人がどう感じるか、どうなりたいか、を聞くだけにしました。当然ながら短期的な結果を求められるため、私は常に80~90%は短期的成果を出す施策を提案し私自身がリーダーとなり、現場を仕切りました。残りの10から20%で改善の種を仕込んだ「自律的に右肩上がりの組織運営」を提案しています。具体的にはまた後で書きます。